秘密の森の沼地にて

わたしの泡は秘密なんです

白黒はっきりはできないんだけど

某ミュージシャンO君のことで大炎上中。
なぜ「君」づけなのかというと、大大大ファンんだから。
ん?ファンだとそうなるのか?違うか。
同世代だから、かな。
慣れ慣れしいな・・・・自分。

ってのはともかく。
私は彼が某有名ユニットFがLだった時からのファン。
だから、問題の件が掲載されたRという雑誌はリアルタイムで読んでいる。
ちなみにQは読んでいない。

私は中学生の時にいじめられっ子で、1年間学校に行かなかった時期がある(まじ)。
いじめにも程度はあると思うので
今回の件の内容ほどのものではなかったけれど
それでも、
長い間、男性がとても怖かったし、
今でも、男性が3人以上のグループになっているところには近寄りたくないし、
笑い声とか耳にするとやたら緊張してしまうくらいには
人生的に影響を受けた。

だから、あのインタビューを読んだときに
けっこう心が凍った。

よく言われているように、あの時代の空気感は確かにあった。
ああいうことをおかしくしゃべられる時代だった。
だって
私がまだいじめられていなかった時、同じクラスの
今思えば精神疾患を持った男の子がいて
でも当時はそういう認識は全くされていなかったので
みんなとは違う、その挙動不審さとかから
完全にからかいの対象になっていた。
その子はどう捉えていたかわからないけれど、
今の目線でみると完全にいじめだ。
もしかしたら、件の内容に近いものだったかもしれない。
けれど、ちっとも問題にならなかった。
そういう時代。

私はもちろんそこに加わることはなかったけれど
それをみて笑ったり「気持ち悪い」って思ったことはあったと思う。


そういう時代だった。
だからいいってもんじゃないのは当然だが。


O君のインタビューを読んでから
しばらく自分の中で葛藤があったけれど、
その音楽がとにかく好きだったので、あまり気にしないようにした。


それから大人になって、ネットも普及してきて
その話が突然ネット上のどこかで話題になることも時々あって
それを目にするたびに、その都度ものすごくモヤモヤしていた。


音楽がよければその人間性は関係ない。
わけがない。
と、私は思っている。
ずーーーっと思っている。
そういう視点だと、私はO君の音楽を聴くことはできない。
でも、私はこれからも多分、O君の音楽を追いかける。と思う。
何故なら、
その視点を凌駕するほど、彼の音楽は素晴らしいからだ。

 

でも自分がいじめられていたこと、
自分が、誰かがいじめられていたのを横目でみていただけで何もできなかったこと、
もしあのインタビューの中のいじめられた子が
自分の子供だったら、
自分だったら、
と想像してしまう、
いつもいつも想像してしまう、

ということはなかったことにはできない。

じゃあどうするのさ。

どうもしなくていいんじゃないかと今は思う。
そんなに白黒ハッキリさせなきゃいけないのかと自分に問いかける。

そしてどう考えてもやっぱり
いじめは犯罪だと私は思う。
というのは前提としても
やっぱりあれは時代ってものがあったんだし、
それとこれはちょっと分けて考えてもいいのでは?と思うし、
O君はあの時のことを忘れてるのかな?なんでこの話を受けちゃったのかな?
とか、
選んだ側はどうなの?
とか、
あの時の、Rという雑誌Qという雑誌は自分は関係ないって顔してちゃいけなくない?
とか、
O君、ここまできたら何らかの言葉は発してほしいな
とか、

そういう風には思っている。