秘密の森の沼地にて

わたしの泡は秘密なんです

最も自分を愛する方法のひとつとしての精度

習っていた某楽器のレッスンを一旦、お休みしてみた。
月1~2回のレッスンの2日前くらいに急に練習して当日に臨む、を
繰り返していて、
半年や1年行かない時もあったりして、
そりゃ上達なんてひとっつもしやしないよな。


それでもレッスンに行くと楽しいわけだが、
先日、先生が録画してくれた私の叩いている様子の動画を
てへって感じでちょっとだけ相方氏に見せたら
すっげー苦々しい顔で言った。

 

「5年やってこれならやめた方がいい」

 

(''ω'')キタ!(''ω'')(''ω'')(''ω'')(''ω'')

 

前にも「才能ないからやめたほうがいい」って言われたことがあって
その時はさすがにカチンときたんだよね。
で、「才能あるとかないとか関係なくやりたいからやってるんですけど!(怒)」
ってキレて、
尊敬する音楽家であるレッスンの先生に「こんな風に言われた」って言ったら
「才能あるないなんて言う人こそ才能がない」という素晴らしいお言葉をいただき、
そうだそうだ~~!バーカバーカバーカバーカって思って
そのまま続けていた。

だがしかし。
才能は本当に関係ないけれど、
ここまでできるようにならないっていうのは
私、本当にこの楽器が好きってわけじゃないってことなのだ。
「やめたほうがいい」っていうのは
うまくならないからやめたほうがいいってことなんじゃなくて
「本気でやる気がない、うまくなろうとしていない」なら
お金の無駄だからやめたほうがいいってことなんだ。

それ、本当のことだ。
私がこの楽器を好きでたまらなくて、絶対うまくなりたいって思っているなら
もっともっと必死で練習していたし
忙しい中でもちゃんと時間作るだろうし
できなくても楽しくて仕方ないはずだから。

でも、そうじゃなかった。

*****


私はもう、本当に好きな事しかしないって決めていて、
じゃあその楽器を嫌いなのかってーとそんなことはもちろんないけれど
好きの順位的には多分、上位ではない。
有り余るお金があるなら
なんでも手を出したらいいと思うけど超絶カツカツだし。
お金は本当に欲しているものに使わないと巡らないわけで。

どちらにせよ
本当の本当に好きな事やりたい事うまくなりたい事を優先して
大事にやっていきたい。

ガッカリなのは尊敬する先生と会えなくなることなんだけど、
一生やめるわけじゃない。
つか、先生の指導していただくことより大事なこともあるってことだ。
とにかく一旦、手放してみるのだのだ。

正確にではなく、精確に自分を楽しませるために。
自分への精度をあげたいのでありました。
(でも楽器は本当に必要な別のものを今せっせとやっているのだのだのだ)