秘密の森の沼地にて

わたしの泡は秘密なんです

ボーンボーンボーンボーンのbornのケセラセラ

亡くなったモラハラ元彼の納骨が済んだと聞いた。
お焼香にうかがった日に火葬されていたわけだけれど、
その話を耳にして初めて
ああ、あの人はもうこの世にいないのか・・・
という気持ちになった。


この世にいないってどういうことだろう。
彼も、
三浦健太郎先生も、
田村正和さんも、
実際に会うような存在じゃなかったから
(まあ彼とは会おうと思えば会えたけど会おうとは思わないから・・・)
この世にいてもいなくても
私は会わないわけで。
でも、この世に存在しているのとしていないのとでは
全然、気持ちが違う。
林檎と腕時計くらい、違う。


この世にいないってことは
いつかなにかわけがわからないけれどひたすら
「もう、絶対になにがなんでも会いたい!!」って思う時がきて
それを何がなんでもかなえてやるぞ!と思ったとしても

絶対に会えないってことか。

・・・・骨か。
骨になったんだな。
骨は・・・・違うよな。
残っている「もの」だよな・・・・。


某曲では「そこに私はいません」って言っているけれど
そんな感じか・・・・。

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生活している間の8割くらいは
頭空っぽのままにしておきたい

どうやったら虫を避けて生きて行けるかとか
バイクに乗ってて事故らないために頑張るとか
朝方の変な時間に目が覚めないようにするにはどうしたらいいかとか
行かなきゃいけない病院を書き出すとか

録画溜めてる大豆田とわ子と半径5メートルと今ここにある危機を早く見るにはどうしたらいいのかとか
マクベスは本当に解散するのかなぁとか
鳥獣戯画展の予約しなきゃとか
田渕由美子展とモンドリアン展はいつ行こうかなとか
CDをスマホにうつせるようにしたいなとか
今さらだけど私もゆるくひとりで歌ったやつを録音したいけどどうすればいんだろうとか

 

そういうことだけ考えてして生活したいんだけど
できるかな、私。

 

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昨日は元夫宅へ押しかけディ。
いつものように高級カレーパン持参。

免停くらって仕事できないからって
引きこもって妖怪人間化していないかどうかの確認だったが
元気そうだった。
仕事は忙しいんだから車なしでできることすればいいのに・・・・と言ったら
「いやぁ、休ませてくれよう」とか言いやがる。
いいけどさ。

この人が病気や怪我をしないで事故などに巻き込まれないで自分も事故らないで人間関係もトラブらないで宇宙人っぽくてもいいから普通にのんびり生きていって天寿を全うしてくれればいいなぁ。
もう、家族のことで心配する人生は懲り懲りだよ・・・。

安心して生きていくのは私の心次第、というのはわかっているけれど
やっぱりあれこれ心配してしまう・・・・。
心配で死んでしまいたくないからもう心配しなければいいんじゃないかな、私。

というか、私、なんでも心配しすぎじゃないだろうか・・・。