秘密の森の沼地にて

わたしの泡は秘密なんです

森はいきている

問子さんへ

わたしもいつもここにきていますよー!
問子さん、落ち込んでいるようすなので
どうしているかなと気になっていました。

お返事がおそくなったのはひとえに恥ずかしさからです。
「教えて」と言われても、わたしには教えることなんてできないのに
偉そうに問子さんについてしったかぶって語ったから。

教えることはできないけど、
心から離れない問子さんへの気持ちを書きます。
あくまでもわたしから見た、問子さん。

「問子さんは光を見られること、理解されることを拒む」と書きました。
それが問子さんがいまいる森のことです。

問子さんはいつも
お友達や憧れているひと達から褒められ、
存在のすばらしさを称えられているでしょう。
大好きで憧れてて尊敬しているひとに
いくら褒められても認められても
ぜったい
なにがなんでも
受け取りませんね。
マインドでは「そうだ、わたしも美しく尊い」と知りながら
必ずその森に帰ります。

その森に棄てられたのではなくて
問子さんが選んで帰ったようにみえます。

いまは、闇を棄てて光のほうへと上昇していく時代なの?
ずうっとそこにいたっていいのに。
そこからだって強烈な光を楽しむことはできるし
かいまみて、また薄暗い湿った苔の寝床にかえってもいい。
いつまでもそこで眠っていてもいい。
「ほんとは、わたしも上昇したい!」って妬んだっていいですよね。

問子さんはつねに
あちらこちらに光を求めています。
そのあとで必ず森に帰るのはなぜでしょうか。

暗黒、闇、それを求め続けるのには
問子さんに多大なるメリットがあるからだとおもうの。
なにがなんでも自己否定するメリット。

「わたしは醜い最低の存在」という戦略で
得ているものは、なにかなあ…


これね、偉そうに言ってるんじゃあないの。
わたしもつい最近、
そっくりおなじ質問を自分にするはめになりました。
なんでかな。
なんで醜くいべとべとどろどろの汚物でいたがるのかな。
森はここちいいと、わたしも感じるのです。